昭和40年代、大野城市の人口が急速に増え、地域の連帯意識の低下と、新旧住民の融和が叫ばれる中、昭和46年に南地区が国のモデル地区に指定を受けたのを契機に、初対面の人同士でも気軽に交流できる“スポーツ”によるコミュニティづくりがスタートしました。
その後に、北地区と東地区が県のモデル地区の指定を受け、中央地区も同様の取り組みがスタートしています。
昭和53年までに市内4地区にコミュニティ運営委員会が設置され、現在のコミュニティセンターの元となるスポーツ施設が昭和56年までに南・中央・北・東と順次整備されました。
昭和57年に市で実施していたスポーツイベントがコミュニティ運営委員会に移管されると、地域の人たちは、市役所の職員ではとても考えのつかないようなユニークな交流、ふれあい型のイベントを次々と企画、実施しました。
平成8年には、生涯学習によるまちづくりを掲げた「コミュニティ推進構想」が策定され、現在のコミュニティセンターに建て替えられました。コミュニティ活動の拠点となり、更に活発なコミュニティ活動が展開されるようになりました。
これが「MADOKAれくスポ祭」などに代表される現在の活発なコミュニティの活動につながり、40年もの歴史を有する大野城市のコミュニティの礎となったのです。
さらに平成20年には、将来の大野城市と地域を見据えて新たなコミュニティ構想(人づくり・地域づくり編)を策定し、平成23年4月より、コミュニティ協議会、コミュニティ運営委員会、地域行政センター、そしてパートナーシップ活動支援センターという体制をスタートさせました。
地域や企業、そしてNPOと共に働くという様々な共働事業に着手し、新しいコミュニティのかたちづくりを一歩一歩前に進めてきました。
平成29年3月には大野城市コミュニティ構想Ver.2(みんなが主役のまちづくり編)を策定し「市民と行政のパートナーシップで自治力みなぎる
コミュニティ~地域の絆が未来を拓く、みんなが主役のまちづくり~」を揚げました。コミュニティ運営委員会を強化したコミュニティ運営協議会を立上げ、市民が主役の
まちづくりをさらに進化・発展させていくことを目指しています。